「やる気の問題」に見える背景を理解する

スポーツや指導の現場において、結果が出ない時や態度が消極的に見える時に「やる気の問題だ」と捉えられることがあります。

たしかに、生徒がダラダラと取り組んでいたり、消極的な姿勢だったり、言われたことしかやらないという状況も現実に存在します。そうした場面を目にすると、指導者も周囲もつい「やる気がないのでは」と考えてしまいがちです。しかし本当にそれは「やる気の問題」だけで片付けられるのでしょうか。やる気という言葉で説明するとわかりやすい反面、その奥にある多様な背景や理由を見落としてしまう危うさがあります。本記事では、この「やる気の問題」という言葉を出発点にしながら、その裏にある受け止め方や背景、そしてどう向き合うかを整理していきたいと思います。

本人に「やる気があるのか」を問いかけると…

このように「やる気の問題」と捉えた時、「やる気はあるのか?」「やる気がないなら。。。」と問いかけたくなりませんか。発奮することを期待して、ついこうした働きかけをしてしまいますが、このように「やる気があるのか?」と選手が問いかけられると、選手は「やる気を持って臨むことを期待している」「やる気があるべきだ」という意図がある言葉として受け止められ、その期待や意図に答える形で、多くの選手は「はい、頑張ります」と答える、ということが起きがちです。このとき本心では疲れや迷いを感じていたとしても、「やる気がない」という答えは許可されていない、求められていない、と感じてしまい、その結果、建前としての「頑張ります」が返ってくることになり、根本的な問題や解決に至らないことになってしまいます。


「やる気がない」ことにも理由がある

では、どのようにしたら良いのでしょうか。やる気がもしも見られないとしたら、働きかけを考える前に、その背景にはやる気が起きない理由が存在するかもしれません。例えば:

  • 身体的な疲労やケガの不安
  • 目標が不明確で、取り組む意味を見失っている
  • 人間関係のストレスやプレッシャー
  • 技術的にどうしたらよいかわからない迷い

たとえば、このような、何かしら理由があって、今は積極的になりにくい状況が作られているのかもしれません。たしかにどのような状況であっても、前向きに積極的に取り組めることがベストですが、もしも何かしら理由や背景があってなかなか前向きな状況になれていないとしたら、その理由や背景を無視して無理やり前向きに取り組んだとしても、本当に自分の弱さや課題と向き合えるような姿勢が育むことは難しいでしょう。

このように考えると、やる気の問題だとしたら、その背景も含めて理解しようと努めることで、その選手の本質が見えてくるのではないでしょうか。

そのように「やる気の問題」とその背景を捉えてみると、「やる気の問題」の根本は、今存在する問題や課題だけではなく、これまでの出会いや教え、関わりの中で育まれてきた姿勢や取り組み方からも影響を受けているかもしれません。そう考えると、やる気の問題はその選手個人の資質や責任において起因する課題なのかは一概に言えないとも考えられるのではないでしょうか。

働きかけのアイディア

このように「やる気の問題」を考えていくと、「やる気の問題」は決して選手個人の資質による責任ではなく、様々な理由・背景・要因によって成り立っているものであり、それは選手に関わる全員が取り扱い・向き合うべき共通の課題である、と捉えることもできます。

その前提を持って向き合うとき、「やる気の問題」は単に「やる気がある」「やる気がない」と片付けられるものではなく、その背景や理由をともに探りながら、考えていくべき課題となります。そのように捉えながら対話を行うことで、選手は自分のやる気をフラットに見つめ、「今どう感じている?」「どんな風に取り組みたい?」「自分はどうありたい?」という言葉を自分に問いかけながら、建前ではなく自分の本心に近づいていくことができます。


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「やる気の問題」を捉え直す

そして、このように「やる気の問題」を考えると、もう一つ慎重に考えるべきだと気付かされるのは、「やる気の問題」という捉え方自体が正しいのかどうか、という視点です。私達が「やる気の問題」と捉える時、それは何をもって「やる気の問題」と考えているのか、も振り返る必要があるかもしれません。ここからは、「やる気の問題」と捉える時に、起こりがちな思い込みを整理してしてみます。

(1) 表面的な態度や行動

声を出しているか、積極的に動いているか、表情が明るいか。これら「外から見える要素」を基準にして「やる気がある」と捉え、「元気がない=やる気がない」と取られる傾向があります。このように考えると、そうした判断は問いかける側が持つ「やる気とはこういうもの」という価値観や経験によって決められている、ということがみえてきます。ですが、誰もがそれぞれの基準を持っている、と考えると、「やる気がない」と見える場面があったとしても、実はそれが本人においては「やる気がない」わけではない、という場合もあるかもしれません。

(2) 文化や環境に根づく価値観

スポーツにおいては、練習量が必要な場面もあれば、負荷の高いトレーニングが求められる局面もあり、そうした局面での汗水を垂らしながら取り組んでいる姿勢は外から見てわかりやすく印象が強いものです。そして、競技上位の選手ほど、そうした負荷の高い練習が求められ、そしてそれに取り組んでいる様子を目にすると、「こうした負荷の高い練習に必死に取り組むことが競技上位になるために必要だ」と捉えてしまいがちです。しかし、競技上位の選手が成果結果を出すために必要なことと、まだこれから発展途上の選手が成果結果を出すために必要なことは同じなのでしょうか。

もし、外から見てもわからないけれど工夫して取り組もうとしていたり、質を高めようと考えて取り組んでいる時、そこには必死な姿勢も汗水を垂らしながら取り組んでいる様子も見られないかもしれないかもしれません。このような姿勢は「やる気の問題」が存在するでしょうか。こうした多様な努力のあり方が見過ごされやすいことも、「やる気の問題」として一括りにされる背景の一つといえるでしょう。

(3) 心理的・認知的な思い込み

結果が出ないときに「やる気の問題」として捉えるとき、「自分の指導内容は伝わっているはず」「環境は整っているはず」といった前提がないかどうかも振り返る必要があるかもしれません。もしもそのように捉えると、選手の意欲や姿勢の課題に意識が向きやすくなります。一方で選手自身も、「自分は頑張れていない=やる気がない」と感じてしまい、過度に自己責任として捉えてしまうことがあります。こうして互いの思い込みや認識が重なることで、「やる気の問題」というラベルが強化されてしまいます。


まとめ

「やる気の問題」は、選手だけの課題でもなく、指導者だけの課題でもありません。表面的な態度や文化的価値観、心理的な思い込みが重なり合って「やる気の問題」として語られてしまうことがあります。しかし実際には、その背景には疲労や不安、環境や関わり方など、多様な要因が存在します。だからこそ、「やる気の問題」を単純に善し悪しで評価するのではなく、共通の課題として一緒に見直し、問いかけ、考えていくことが必要です。やる気があるかないかにとらわれるのではなく、今この瞬間の取り組みをどう深めるかを大切にするとき、選手も指導者もともに成長につながる対話が生まれるのではないでしょうか。

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