「考えるサッカー」とは何か──“考える”の中身と、その育て方

「考えろ」だけでは、何をすればいいか分からない

「考えるサッカー」「サッカーIQ」「賢いプレー」。テレビでも、練習の現場でも、この種の言葉はよく登場します。どれも、間違ってはいません。サッカーで起きている大事なことを、おおまかには言い当てています。

けれど、言われた選手の側に立つと、困ってしまいます。「考えろ」と言われても、何を、いつ、どう考えればいいのかが、渡されていないからです。手がかりのないまま「考えなきゃ」とだけ思うと、人はかえって動きが固くなります。あるいは、あれもこれもと気にしすぎて、プレーが遅れる。「考える」という一語のなかに、いろいろな作業がひとまとめに詰め込まれていて、どこから手をつけていいか分からない——これが、「考えろ」が空回りする正体なのではないでしょうか。

だとすれば、まず必要なのは、気合いを入れ直すことではなく、「考える」の中身を、いくつかに分けてみることです。

「考える」には、二つある

ここで、少し立ち止まってみてください。試合の最中、私たちは本当に、その場で新しく「考えて」いるのでしょうか。

実際には、めまぐるしく動く試合の中で、ゼロから新しく考える余裕は、ほとんどありません。その多くは、練習で準備してきたものを、ほぼ反射のように出しているだけです。裏を返せば、「考える」の本体は、試合の最中ではなく、その手前——日々の練習の中にある、ということになります。

そう捉えると、「考える」は、大きく二つに分けられます。

一つは、練習での考える。うまくいかないことを、うまくいかせるために、その本当の原因を探す考えです。もう一つは、試合中の考える。目の前の状況を観て、次を読んで、一手を選ぶ考えです。

この二つには、順番があります。練習での考えるが土台をつくり、試合中の考えるは、その土台の上で回っていく。「もっと考えろ」が空回りするのは、たいてい、土台となる練習での考えるを飛ばして、試合中だけ速く考えようとするからなのだと思います。では、その二つを、順番に見ていきます。

練習での「考える」──うまくいかない原因を探す

一つ目の、練習での考える。これは、うまくいかないことの「本当の原因」を探す考えです。

たとえば「試合になると寄せが遅い」。ここで「気持ちの問題だ」「集中が足りない」と片づけてしまうと、考えはそこで止まります。けれど、原因のない結果はありません。その遅さは、いつ、どこで、何が起きて生まれているのか。落ち着いて掘っていくと、じつは足が遅いのではなく、「相手のどこを見れば動き出していいのか、その合図が自分の中で決まっていないから、一歩目が出遅れているだけ」だった——そんなふうに、本当の原因が別の場所に見えてくることがあります。

だから、練習での考えるの出発点は、今の自分を、ありのままに観ることです。何がどこまでできていて、何がまだできないのか。うまくいった時だけを見て「できる」と思い込んでいないか。ここを正直に観られると、直すべき一点が、はっきりしてきます。

試合中の「考える」──観て、読んで、選ぶ

二つ目は、試合中の考える。これは、大きく三つの作業に分けられます。まず、いま目の前で起きていることを観る。スペースはどこにあるか、相手の体はどちらを向いているか、味方はどこにいるか。次に、観たものから、これから何が起きるかを読む。この相手は食いついてくるか、味方はこのまま縦に抜けるか。そのうえで、自分ができることの中から、一手を選ぶ

観る → 読む → 選択する。「考える」という一語でひとまとめにすると、どこから手をつけていいか分からなくなりますが、こうして分けてみると、自分が詰まっている場所が見えてきます。観ていないものは読めず、読めていないものを土台に選べば、選択はほとんど勘になってしまうからです。

そして大事なのは、この三つを試合の速さで回せるのは、練習での考える——観て、原因を掘る——を積んできた選手だけだ、ということです。ふだんから観る対象が決まっている選手は、ボールが来る前に、もう観終えています。準備の薄い選手が「速く考えろ」と言われても、観るのと選ぶのが同時になって、間に合いません。試合中の考えるは、練習での考えるの上に、静かに乗っているのです。

どちらの「考える」も、訓練で育つ

もう一つ、忘れずにおきたいことがあります。この二つの考えは、どちらも「もっと考えろ」と言われて、次の日から急にできるようになるものではない、ということです。

何を観るか、どこを掘るか、どう選ぶか。その一つひとつは、ドリブルやトラップといった体の技とまったく同じで、意識して繰り返す中でしか育ちません。熟達研究で知られる心理学者アンダース・エリクソンも、上達は時間の長さではなく、「自分が今、何を直そうとしているか」がはっきりした練習によってのみ進む、と述べています。考える力もこれと同じで、才能ではなく、訓練で伸びていく力なのだと思います。

「もっと考えろ」と言われたとき、選手が本当に必要としているのは、頭の回転を上げることではありません。まず、観る対象を一つに絞ってもらうことです。今日の練習では、自分のこの技が10本中何本できるかを観る。今日の試合では、相手の重心だけを観る。観るものが決まれば、掘るべき原因が決まり、選ぶときの土台ができていきます。

考えるサッカーは、頭の良さの問題ではなく、日ごろから、自分と目の前の状況を、どれだけていねいに観てこられたかの積み重ねなのではないでしょうか。次の練習で、「今日は何を観るか」を一つだけ決めてみてください。それが、考えるサッカーの、いちばん確かな入口になるように思います。

参考

  • アンダース・エリクソン/ロバート・プール『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋(Amazon
  • 三輪建二『わかりやすい省察的実践』医学書院(Amazon

ここまで読んで、「考えるサッカーの中身はわかったけれど、自分(あるいはわが子)が、いま何を観て、どこで詰まっているのかは、まだ言葉にできない」と感じた方もいるかもしれません。

「じょうたつの学校」は、競技や年代を問わず、選手とその保護者の方に向けた個別のスポーツコーチングサービスです。今の自分をありのままに観て、うまくいかない原因を一緒にほどき、まずは観る対象を一つだけ決めて、それが頭の中に住みつくまで伴走していきます。

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