ゲームで“何を観るか”──エイムや索敵の手前にある観察と、一瞬で読み取る力(チャンク化)の鍛え方

「周りを見ろ」「索敵しろ」で止まると、何を見ればいいか分からない

「周りを見る」は、間違ってはいません。上手い人ほど、確かに広く状況を把握しており、結果としての正しい姿を言い当ててはいるのです。

けれど、それができるようになるかどうかは別の話です。「周りを見る」と言われても、周りには膨大な情報があります。ミニマップ、体力ゲージ、味方の位置、足音、残弾、地形、直前の交戦の跡。そのすべてを同時に見ることは、誰にもできません。「全部見ろ」は、実質的に「何も指定していない」のと同じなのです。

できるようになるためには、「見る」という動作だけではなく、その中身——何を、いつ、どの順で読み取るか、という地図のほうではないでしょうか。地図がないまま「広く見ろ」と言われた人は、視線を散らすことしかできません。そして視線を散らすほど、どこにも焦点が合わなくなっていきます。

「見えていない」は反応の遅さではない──観るとは”符号化”すること

倒されつづけると、多くの人は「自分は反応が遅いんだ」と考えはじめます。けれど、ここには少しすり替わりがあるように思います。

そもそも「観る」とは、目に映すことではありません。目には同じ景色が映っていても、そこから意味を取り出せるかどうかは別です。上手い人が速く動けるのは、指が速いからではなく、同じ画面から取り出している意味の量が、桁違いに多いからなのです。心理学では、これを情報の符号化と呼びます。ばらばらの点を、意味のあるかたまりとして受け取る働きです。

古い、けれど有名な研究があります。チェイスとサイモンという二人の研究者が、チェスの盤面を数秒だけ見せて、あとから再現してもらう実験をしました。熟練者は驚くほど正確に並べ直せた——のですが、それは「実際の対局で起こりうる盤面」のときだけでした。駒をでたらめに置いた盤面では、熟練者も初心者とほとんど変わらなかったのです。つまり熟練者は、一つひとつの駒を覚えていたのではなく、「この配置はこういう局面だ」という意味のかたまり(チャンク)として盤面を捉えていた。この、意味のかたまりで受け取る力を、チャンク化と呼びます。

ゲームでも、起きていることは同じではないでしょうか。上級者は「敵が一人、右奥、リロード中、味方は左に展開」という状況を、一枚の絵として一瞬で読みます。初心者は同じ画面から「なんか敵がいる」しか取り出せない。差は反応速度ではなく、画面から意味を取り出す解像度のほうにあるのです。こうした熟達は、生まれもった「センス」ではなく「知覚の蓄積」なのだと思います。速いのではなく、観えている。だから間に合う。順番が逆なのかもしれません。

そして厄介なのは、観えていない人ほど「自分は観えている」と感じやすいことです。観えていないものには、そもそも気づけないからです。足音の意味も、ミニマップの一点の意味も、知らなければ「無かったこと」になる。だから本人の実感としては、「ちゃんと見ていたのに理不尽にやられた」になってしまうのです。

何を観るかは局面で決まる──まず観る対象を一つに

では「意味を取り出す量を増やそう」と身構えると、また「全部見る」に逆戻りしてしまいます。ここで大事なのは、上級者も全部を見てはいない、という点です。むしろ逆で、局面ごとに観る対象を絞っているから速いのです。

進行しているときに観るものと、交戦の直前に観るもの、倒したあとに観るものは、それぞれ違います。移動中ならミニマップと足音、撃ち合いの入り口なら相手の残弾と体力、詰められているなら退路。局面が「今はこれを観る」を決めてくれるから、視線を散らさずに済む。何を観るかが先に決まっているからこそ、速く読めるのです。

だからスタートは、「広く見る」ではありません。今の自分がいちばん多く倒される局面を一つ選び、その局面で観る対象を決めることです。たとえば「交戦に入る直前、相手の残弾表示だけを観る」。一つに絞ると視野が狭くなりそうで不安になりますが、実際には逆です。一つが自然に読めるようになると、その周りが少しずつ見えてくる。土台の一つを深く観るほうが、細かなテクニックを数多く覚えるより、確かに効いてくるように思います。

一瞬で読み取る力は、鍛えて速められる

チャンク化は生まれつきの才能ではなく、観た回数の蓄積です。ということは、蓄積のしかたを工夫すれば、加速できるということでもあります。ここでは三つ、リプレイを使ったやり方を挙げてみます。

一つめは、一時停止予測法です。リプレイを、何かが起きる直前で止めます。そして再生する前に、「次に相手は何をする?」と自分で声に出して答える。当たっても外れても、そのあと再生して答え合わせをします。これは、観たものから予測を立てる回路を、意図的に何度も通す練習です。予測してから見るのと、ただ眺めるのとでは、同じリプレイでも残るものがまるで違います。

二つめは、コントラスト学習です。似ているのに結果が違った二つの場面を並べます。うまくいった交戦と、やられた交戦。そして「この二つは、どこが違ったのか」を言葉にしてみる。位置なのか、仕掛けた順番なのか、観ていた対象そのものが違ったのか。違いを言葉にできたとき、ぼんやりした「なんとなく」が、次に使える判断に変わります。

三つめは、命名です。くり返し出てくる構図を見つけたら、自分だけの名前をつけてしまう。「奥待ちの罠」「二枚抜きの角」——名前がつくと、それは一つのかたまりとして扱えるようになり、次に同じ形が来たときに一瞬で呼び出せます。武術とチェスの両方を究めたジョッシュ・ウェイツキンは、上達を「大きな円を、だんだん小さな円にしていくこと」と表現しました。基本の一つを、名前を与えられるほど深く観る。それが、小さく速い円になっていくのだと思います。

「気づいたら死んでいた」を、やられた瞬間から遡る

最後に、いちばん実感の強い場面——「気づいたら倒されていた」を、練習の入り口に変えるやり方を書いておきます。

やられた瞬間のリプレイを、そこから時間を巻き戻して観ます。問いはひとつ。「どこで、何を観ておけば、これは予測できたのか」。撃たれた0.5秒前ではなく、もっと前まで遡ります。あの角を曲がる前に足音は鳴っていなかったか。ミニマップに味方の死亡表示は出ていなかったか。多くの場合、危険の合図は、やられるずっと手前ですでに画面に出ています。ただ、それを観る対象として持っていなかっただけなのです。

一度この作業をすると、「理不尽にやられた」の多くが「観ておけば分かった」に変わります。そして次からは、その合図が観る対象のリストに一つ加わる。こうして、倒された一回が、そのまま地図の一マスになっていくのではないでしょうか。

今日はこれだけ観る、を一つ決める

やることを増やす必要はありません。むしろ減らします。次の一試合、「今日はこれだけ観る」を、一つだけ決めてください。交戦前の相手の残弾でも、移動中のミニマップでも、なんでもかまいません。試合のあとにリプレイを開いて、「それを、ちゃんと観えていたか」だけを確かめる。

観えていなければ、それが次の一マスです。観えていたら、対象を一つ増やす。この、観る対象を一つずつ増やしていく歩幅こそが、「センス」と呼ばれてきたものの正体なのかもしれません。速く反応しようとするのをいったんやめて、まず一つ、深く観てみる。そこから、静かに視界がひらけていくように思います。

参考

  • W. G. チェイス/H. A. サイモン「Perception in chess」(Cognitive Psychology, 1973)※学術論文
  • ジョッシュ・ウェイツキン『習得への情熱―チェスから武術へ―』みすず書房(Amazon

ここまで読んで、「反応を速くしようと頑張ってきたけれど、そもそも何を観ればいいのか、誰にも教わっていなかった」と感じた方もいるかもしれません。

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