スポーツに取り組む上で、なかなか変化や改善を感じられない瞬間があるかもしれません。課題に真摯に取り組めば取り組むほど、なかなかその課題が改善しなかったり、思うようにできるようにならなかったりすることもあると思います。そのような時、もしかしたら少し捉え方や取り組み方を変えてみることで、壁を突破できるかもしれません。今回は、変化や改善を妨げている原因と、改善策としての「アンラーン」について解説します。
変化・改善を妨げる「無意識」の呪縛
まず、今まであなたが技術を習得するために、どのように練習を重ねてきたか、少し振り返ってみましょう。特にスポーツにおいては、多くの場合、動作が無意識的に行えるようになるまで反復練習を重ねたり、コーチや先輩からアドバイスを受けてそれを意識しながら練習をしてきたり、あるいは自分で試行錯誤して発見したコツを積重ねてできるようになってきたと思います。このように取り組むことが、成功への道のように見えますが、実はそこに変化・改善を妨げる要因が潜んでいるのです。
Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」では、為末大選手がこのような例えを出されています。
たとえば自転車ですね。自転車に乗れるようになったとき、人は、ペダルを無意識に焦げるようになっています。スポーツのように身体で覚える動作は、一度ラーニングが完了すると、その後は無意識にかなり近い領域で、自動的に身体を動かせるようになります。けれども、もし競技として自転車と向き合い、トップの自転車選手になりたいのなら、一度は無意識でできるようになったペダリングを、いったん意識の対象にして、その動きを変えていく必要があります。「勝手に足が動く」というような無意識の動きを1回忘れて、意識的にラーニングし直すんです。
無意識の動きや過去からの学びがもたらす弊害
もう少し為末選手の例を掘り下げて考えてみましょう。
自転車を漕げる方でしたら経験があると思いますが、自転車は漕ぎ続けなければ倒れてしまうので、覚えたての頃には、「足を回し続ける」ことを意識して覚える必要があります。例えばそのときに「足を強く踏み出す」という意識で覚えて、その体の使い方が身についたとしましょう。
しかし、例えば自転車競技に取り組もうとしたときには、どれだけ踏み込む力をロスせずに効率的に使えるか、ということが大切になってきます。
その時には、「足の力は使わずに重心の移動でペダリングをする」という意識をしようとすると、これまで培ってきた「足を強く踏み出す」という学びと競合してしまうことになります。
このように、レベルの高い学びを得ようとするときに、過去の学びによって得た成功体験が邪魔をしてしまう事態が生じることになります。
結論としては、今までの成功体験を捨てて取り組もう、となるのですが、そう簡単に変化が起きるものではない、というのは取り組んだことのある方なら覚えがあると思います。
そこには、これまでの成功体験を捨てることの難しさがあります。たとえ頭でわかっていたとしても、そうそう簡単にこれまでの大切な積重ねを捨てられるものではありません。
そこには、「学んでいく」「何かをできるようになっていく」という試みについて、もう少し深く見つめてみる必要がありそうです。より本質的な理解を得ると、変化もスムーズに生み出すことができます。
本来持っている力を引き出す
ここで、「自分の息をつかまえる」という書籍から、一部紹介をしたいと思います。これは「呼吸」についての書籍なのですが、呼吸について学びを行っていく際に、次のように解説しています。
本書に、普通の「こうすれば身につく」と教える本と同じように取り組むのは間違いです。それではこれまでやってきた間違いの繰り返し。やれがんばれとか、我慢しろとか、もう一踏ん張りだとか。だれもがいやというほど思い知っているように、こんなやり方はうまくゆきません。のびやかな呼吸とは、何かを獲得するとか、新しいテクニックを身につけるとか、うまくなろうと励むとかいうこととは無縁のものです。本来の自然な呼吸を身につける過程には、妨げているものを探り出したり取り除いたりすることが関わってきます。その意味で本書は解体のプロセスを示す本、学ぶのではなく忘れるためのガイドブックであり、『こうすれば身からはずせる』と教える本となるでしょう
ドナ・ファーリさんは、このように述べていらっしゃいます。
私達は、何かをできるようになっていくときに、『今の自分が出来ていない』から、やり方を覚えて、練習して、『できるようになっていく』と考えます。
そのため、「できていない自分」に「やり方」を足して、「できる自分」になっていこう、と捉えてしまいます。そう考えると、せっかく積重ねた「できるようになった自分」の「できるようになってきた」部分を取り去ることは、「自分」が崩れ去ることを意味してしまいます。
しかし、もしも『本来はできる素質があった自分』だったものが、色々なやり方を『鎧』として身に着けたために、動きにくくなっているとしたらどうでしょうか。
もしそのように捉えたとしたら、その『鎧』を脱ぐことが、本来できる自分にたどり着くための最短距離になります。
老子の教え
老子の教えで、「爲學日益、爲道日損 損之又損、以至於無爲」という言葉があります。
色々な解釈がありますが、学問を学んでいくと日々知識や技術を積重ねていく学びがありますが、道を修めるには逆に手放していく必要がある、と解釈できます。
何かに挑戦するときに技術や知識を増やすことを決して否定はしませんが、もし変化を感じれなかったり、なかなかこれまでの動きが改善できていないと感じたら、少し『アンラーン』を考えてみても良いかもしれません。
たとえば、新しい動きや課題に取り組む際に、これまで培ってきた経験や技術は一旦置いて、まったくまっさらに競技に取り組むつもりで、ミスやエラー、勝敗は気にせずに、その動き・課題を楽しむように遊ぶように取り組んでみましょう。
「アンラーン」というプロセスには、痛みや難しさが伴うと感じるかもしれません。しかし、これまで培ってきたことや、成長してきた自分を否定しているわけではなく、これまで培ってきたからこそ、成長した今の自分がいて、そして新しい課題に取り組めているのです。
今の自分を「アンラーン」で乗り越えることで本当に必要な成長と変化を得ることができます。
参考文献:
Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」 柳川 範之 (著), 為末 大 (著)
自分の息をつかまえる: 自然呼吸法の実践 ドナ ファーリ (著), Donna Farhi (原名), 佐藤 素子 (翻訳)