
「量」が裏目に出るとき
才能開発の研究で知られるダニエル・コイル氏は、著書の中で、一流のアスリートや音楽家が上達のために行っている練習について、「ゆっくりと、正確に、意識的に取り組む練習」が神経回路を効率よく強化すると述べています(『才能を伸ばすシンプルな本』Amazon)。
ここで言われている「神経回路の強化」とは、何かを身につけるたびに脳と体のあいだに新しい通り道がつくられていく、というイメージで捉えるとわかりやすいかもしれません。コイル氏は、その通り道がよく使われるほど信号の伝わり方がスムーズになり、結果として「考えなくても動ける」状態へ近づいていくと説明しています。
この強化を支えているのが、ふだん「集中して練習している」と感じている状態の中身です。コイル氏によると、神経回路がうまく育つときには、おおむね三つのことが同時に起きています。
- 少し難しいことに挑む:今の自分の力でぎりぎりできるかできないか、というラインで動く。
- 失敗に気づき、修正する:うまくいかなかった瞬間に立ち止まり、何が違ったのかを確かめる。
- ゆっくり、正確に繰り返す:感覚をたしかめながら、もう一度、同じ動きをていねいになぞる。
この三つが噛み合っているとき、体は新しい動きを「ただ繰り返した記憶」としてではなく、「使える回路」として覚えていくとされています。逆に、考えずに同じ動きを高速で繰り返すような練習は、今ある回路をそのまま太くしてしまいます。もしその回路に課題があるなら、強化されるのは「うまくいかないパターン」のほうかもしれません。量ではなく「質」が、本当の意味での上達を支えているといわれるのは、こうした理由からです。
練習量をこなしているのに成果が出ないと感じている方は、練習の「意識」そのものを見直すことが突破口になるかもしれません。漫然と繰り返す100回と、一回ごとに気づきのある10回では、体に刻まれるものがまったく違います。
スモールステップという練習設計
では、質の高い練習とはどのようなものでしょうか。その鍵となるのが「スモールステップ」という考え方です。スモールステップとは、大きな目標を小さな段階に分けて、一つずつ確実にクリアしていく練習設計のことです。
たとえば、体操競技で新しい技を習得するとき、いきなり完成形を目指すのではなく、まずは体の一部分の動きだけを切り出して練習します。腕の振り方、踏み切りのタイミング。それぞれの要素を分けて取り組み、一つずつ「できた」を確認してから次に進みます。
このアプローチが有効な理由は、「今の自分がどこまでできていて、どこからできていないのか」を明確にできるからです。「なんとなくできた」「まあまあ良かった」という曖昧な状態では、改善も強化も起きにくいとされています。「この条件ならできた」「この状況ではまだ無理だった」とはっきりさせることで、成長の足がかりが具体的になります。
陸上競技のハードル走を例に考えてみましょう。タイムが伸び悩んでいるとき、「もっと速く走ろう」とがむしゃらにスピードを上げる練習をしても、ハードル間のリズムが崩れるだけかもしれません。そこで、まずは低いハードルでリズムだけを確認する。次に、通常の高さで一台ずつ跳ぶ。それができたら二台連続、三台連続と増やしていく。このように、難易度を段階的に上げることで、体はスムーズに新しい動きを受け入れていきます。
省察的実践の研究で知られる三輪建二氏は、学習者が自分の行動を振り返り、次の行動に活かすサイクルの重要性を説いています(『省察的実践者の教育』Amazon)。スモールステップの練習では、一つの段階をクリアするたびに「何ができたか」「何が変わったか」を振り返る機会が自然に生まれます。この振り返りの積み重ねが、練習の質を高め、成長を加速させるのです。
「質の高い10回」が「惰性の100回」に勝る
ここで注意したいのは、「小さく分ける」とは単に練習を簡単にすることではないということです。大切なのは、自分の感覚の精度を高めるために、動きを「観察できる単位」にまで分けるという視点です。テニスのサーブを改善したい場合、サーブ全体を一気に変えようとするのではなく、「トスの高さ」「肩の回転」「手首の角度」といった要素に分解し、一つずつ意識的に取り組むことで、どの部分に課題があるのかが明確になります。
バレーボールのスパイクでも同様です。助走のタイミング、踏み切りの位置、腕の振りのタイミング、手首のスナップ。すべてを同時に意識することは不可能です。しかし、一つの要素に絞って練習すれば、その要素について「できた状態」と「できていない状態」の違いを体で感じ取ることができます。
追い込み型の練習がうまくいかない背景には、もう一つ重要な問題があります。それは、疲労した状態での反復は、動きの精度を下げ、古いパターンに戻りやすくなるということです。意識を保てないほど追い込んだ状態では、せっかくの新しい動きが定着せず、以前の癖が再び顔を出してしまいます。練習で身につけた感覚が試合になると発揮できないのも、こうした「定着の浅さ」が一因かもしれません。
だからこそ、「質の高い10回」は「惰性の100回」に勝ります。一回一回の練習で、何を意識し、何を観察し、どのような変化を感じ取ったか。その密度が、本当の意味での上達を支えています。
「もっと追い込まないと」と感じたとき、一度立ち止まって考えてみてください。今の練習は、ただ量をこなしているだけになっていないか。一つの動きを丁寧に分解し、小さな「できた」を積み重ねているか。スモールステップで進む道は、一見すると遠回りに見えるかもしれません。しかし、その一歩一歩は確実にあなたの体に新しいプログラムを刻み込み、やがて大きな変化をもたらしてくれるはずです。
参考
👉 「観察を起点にした上達の循環」については、観察で努力と結果が変わる。観察からはじまる上達の循環 でも詳しく解説しています。
👉 「練習で身につけた感覚が試合で出せない」という現象については、「練習ではできるのに試合でできない」を抜け出すメンタル強化術 でも詳しく解説しています。
じょうたつの学校では、一人ひとりの 状況に合わせたコーチングを行っています。 具体的な練習の取り組み方、メンタル、試合でのパフォーマンスの発揮方法、部活や親子での人間関係や関わり方も含めて、一緒に整えていきます。
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